愛するということ。
- 2009-12-23(15:57) /
- スピリチュアル
学者が論文を書くときの方式(仮説があり、例題となる文献の引用があり、論拠の展開がある、et al)で書いてあるため、面倒になってナナメ読みしてしまったのだが、ここに愛の定義が(たしか)こんな感じで出ていたのだ。
「『彼のことを、以前は愛していたけど、もう愛していない』などと言うが、これは根本から間違っている。
なぜなら、愛するということは、いったん『愛する』と決めたら、もう変わらないものだからだ。
『彼をいつの間にか愛していた』などと言うが、それでもある時点で『わたしはこの人を、今後変わらず愛し続けよう』と決意した瞬間があったはずだ。
だから、『以前は愛していたけど、もう愛していない』などということはあり得ない。
あるとすれば、『以前は好きだったけど、もう好きではない』というレベルのことだろう」
つまり、愛するとは、「相手を全面的に受け入れてつねに変わらぬ愛情を注ぐ事を自分のなかで決定し、何があろうと、また、相手が自分を愛してくれようとくれまいと、自分からは無償の愛情を与えつづけること」なのだ。
(本が手元になく、わたしなりの理解をまとめたものなので、間違っていたらゴメンナサイ)
愛ですか
いつもついてまわる、というのとは 違うのですか
なんとなく似てるみたいだけど

考えてたら 眠くなっちゃった……

気に入ったとか、惹かれるとか、わたしのことも好きになってほしいとか、相手とつきあうとか、結婚するとか、いつもそばにいたいとか、そんな次元はとっくに通り越している。
極端にいえば、相手が死んでいたって、成立するぞ(魂の不滅を信じていれば)。
自分からの愛情だけが、太陽の光のごとく降り注ぐのみ。
そして、相手の幸福を願い、美しさ(魂の)をたたえ、いい波動を送り続ける。
むしろ オレとネズミの関係と似てるんじゃないかな、愛って

う~ん。
これでいくと、世の中の夫婦やカップルのうち、推定95パーセントくらいは、「愛」とはいえないよなぁ。
親子愛とか、同胞愛とか、兄妹愛とかも、打算があったり馴れ合いだったりするわけだし。
でも、このような気高い定義をもってしても「うん、わたしは愛している」と思える人って、幸福だと思う。
わたしには、そういう対象はある。遠くだけど……。
よかった!